拉致被害者は生きている!

拉致被害者は生きている!2018-06-1109:25:53

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拉致被害者は生きている!北で拉致講義を受けた李英和教授が証言遠藤誉東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士

6/11(月)7:30

横田めぐみさん写真展、新宿駅で開催写真Duits/アフロ

1991年に北朝鮮で拉致講義を受けた李教授が拉致被害者は生きている!と証言。その講義内容と当時の日本政府の対応から、日朝首脳会談に対する日本の心構えを考察する。日本は拉致問題満額回答を手にしなければならない。

金丸訪朝効果で北朝鮮に留学現在、関西大学経済学部の教授北朝鮮社会経済論をしておられる李英和リヨンファ氏は、まだ同大学の専任講師だった1991年4月〜9月に北朝鮮の朝鮮社会科学院に短期留学をした。

1990年9月26日、自民党金丸信氏当時、副総理を代表とする訪朝団が金日成キムイルソン主席と会い、もう一歩で日朝国交正常化にたどり着くところだった。

実は韓国は1990年9月末に旧ソ連との国交を樹立している。新思考外交を打ち出したゴルバチョフ書記長の登場により1988年のソウルオリンピック旧ソ連は代表団選手を送り、55個も金メダルを獲得して総合1位となった。この辺りから北朝鮮は北東アジアにおける孤立化を恐れ、日本との国交正常化に活路を見いだそうとしていたということができよう。

そのような流れの中で李英和氏に北朝鮮留学のチャンスが巡ってきたのである。偶然にも関西大学では1年間の在外研究の順番が回ってきたので、李英和氏は欧米を希望せず、北朝鮮を希望してみたという。留学というよりは訪問学者の短期研修なのだが、分かりやすいので短期留学という言葉を使う。

本来なら北朝鮮から許可が下りるはずもなかったが、金丸訪朝の効果は大きく、朝鮮社会科学院に留学することが叶った。当時、北朝鮮留学第1号として毎日新聞が大きく報道以後、第2号はいないので、彼が唯一である。

しかし北朝鮮に入国してみると、あまりに極端な個人崇拝や監視社会の実態、あるいは庶民生活の経済破綻を知るに及び、北朝鮮に激しく失望したという。

危険を冒して反体制の知識人と接触したりしたので、日本に帰国するときには、万一にも拘束されたり暗殺されたりしないように、命の保険のために毎日新聞に依頼して、再度、帰国を大きく扱ってもらったとのこと。

帰国前に受けた拉致講義の内容朝鮮社会科学院の教官は92年11月、李英和氏の日本帰国予定の約1月前に、突然拉致講義をすると言ってきた。ということは日本に帰って、話してもいいと理解した。教官は監視兼世話役の朝鮮社会科学院准博士。工作機関からの指示であることは明らかだった。

以下に、李英和教授が教えて下さった拉致講義の概要を、ほぼ原文通りに記すしたがって文中にある私は李英和氏本人を指す。

1講義の場所は宿舎の部屋の中ではなく、公園で歩きながら。秘密警察の盗聴を嫌ってのこと。拉致は、秘密警察ではなく、工作機関の犯行と管轄なので。

2工作機関による計画的な日本人拉致作戦は、1976〜1987年の間に金正日キムジョンイルの指示で実施。それ以前とそれ以降はやっていないと断言。当時、後継者候補の金正日が拉致作戦を立案指揮していた。

3背景は経済計画の失敗71年〜人民経済発展6カ年計画。汚名挽回のため、金正日が新機軸の対南南朝鮮韓国テロ作戦を発動。経済破綻で全面戦争ができなくなったので、戦争の代わりにテロを立案。

4同作戦により急遽、対南潜入工作員の大量養成が必要になり、その訓練の一環で日本人拉致を実施。新米しんまい工作員の敵国への潜入訓練の場として、海岸警備の手薄な日本海側を利用。教官は潜入訓練完遂の証拠品として日本人の拉致を要求したので、拉致対象の年齢性別職業等は問わなかったと説明した。そのせいで、近くの浜辺で手当たり次第に拉致。当時まだ女子中学生だった横田めぐみさんが連れ去られることになった。

5沖合の母船から5人乗りゴムボートで海岸に3人の新米工作員が潜入。空席は2名なので、拉致は最大2名までが限界。アベックの失踪が多いのはそのせい。

金日成の名前で拉致した日本人は絶対に殺さず、生きて平壌に連れ帰れ。拉致被害者平壌近郊で中の上の暮らしをさせるから、安心して拉致して連れ帰れという厳命が下された。そのこころは、無関係な日本人の民間人を殺害することになれば、新米工作員に戸惑いの心理的動揺をきたし、訓練の失敗につながるおそれがあるから。したがって、拉致被害者は誰も現場で殺害されたり、日本海でサメの餌にされたりすることなく、平壌の工作機関の拠点まで生きて連れ去られた。

7北到着後も絶対に死なせるなという金日成の厳命は生きた。工作機関は管理監督責任を厳しく負わされるので、事故や病気での死亡を厳格に防いだ。本人が死にたいと思っても、自殺もできないという監視下で暮らした。

拉致被害者は工作機関の管轄区域内で5〜6人一組で隔離生活させる都合上、被害者に与えられる仕事は共通の特技である日本語の教育係ぐらいしかなかった。したがって、何らかの特技を狙ったり、日本語教師をさせたりする目的で拉致したのではけっしてない。あくまでも訓練の証拠品。

9作戦期間が10年余りなので、その間の上陸訓練の実施回数の分1回最大2名だけ拉致被害者が存在する計算になる。私はおよその人数を尋ねたが、講師は正確には知らないが、とにかく大勢と答えた。

注191年当時は日本人拉致事件北朝鮮犯行説は半信半疑で定説化していなかった。その中で、私に北犯行説を自供したのは驚愕の出来事だった。その当時、拉致問題解決を糸口に日朝国交樹立による賠償金狙いの戦略を既に固めていたものと見られる。賠償金獲得の動機は、91年から本格化する北朝鮮の密かな核開発の資金源だった。その目論見が2002年まで延期、ずれ込んだのは北で大飢饉93〜99年が勃発したからと思われる。

注2以上の説明は日本人拉致問題の本筋に関するもので、ヨーロッパを舞台とするよど号ハイジャック犯による日本人留学生と旅行客拉致の番外編は含まれない。

この番外編については、実行犯のY有本恵子さん拉致犯から、個人的に全容の説明を聞いたが、あくまでも番外編なので今回は省略。

注3拉致作戦が76年に開始されたもうひとつの理由は、ベトナム戦争終結75年。北はベトナム戦争が永遠に泥沼化することを願ったが、その願いに反して75年に北ベトナムの勝利で戦争が終結。米軍が韓国と日本に引き揚げ、朝鮮半島ベトナム戦争敗北の雪辱を期する事態に発展。これに慌てた金父子が非対称の対抗策としてテロ作戦を立案発動した。

以上が李英和氏による拉致講義内容の説明と位置付けである。

この一部は2009年にPHP研究所で出版なさった暴走国家北朝鮮の狙いで触れている。

帰国後、日本政府に知らせたが無反応李英和氏は帰国後、日本政府に秘かに拉致講義の内容を伝えたが、政府側はほぼ無反応で、真剣に聞こうとさえしなかったという。

事実、金丸訪朝の時も、拉致問題は日本側が重要視しておらず、せっかくの会談だったが、そこでは日本側が取り上げなかったようだ。

一方、植民地統治時代の賠償金問題によって、金丸訪朝の効果は立ち消えになっていってしまう。

戦争もしてない国に、なぜ戦後賠償をするのかと言う国会議員が多く、金丸訪朝での共同声明は賠償を償いという言葉に置き換えたが、それでも抗議の声は絶えなかった。

こうして拉致問題は長いこと放置されたままになった。2002年の小泉訪朝が叶い、一部の拉致被害者を取り戻すことができたのは、5月7日付のコラム中国、対日微笑外交の裏中国は早くから北の中国外しを知っていたに書いたように、新義州シニジュ、しんぎしゅう特区の経済開発において中国と対立したからである。だから日本に秋波を送った。それはちょうど、李英和氏が注2で書いておられるように、日本からの賠償金が欲しかったという時期とも一致している。

日朝首脳会談拉致問題は満額回答を手にせよ!本来なら、世界で唯一の被爆国として、あるいは拉致被害者およびその家族を抱えている日本としては、もっと積極的に独自の路線で北朝鮮に接触して拉致被害者問題解決に当たっていくべきだっただろう。たとえば北が何としても賠償金が欲しい時あるいはアメリカとの橋渡しを何とかしてほしい時などのタイミングをつかんで、アメリカと親しい日本が拉致被害者を全員返すなら、〜をやってあげるが、どうだといった形で、強力なカードを掲げて北朝鮮に独自に迫るというチャンスはあったはずだ。アメリカと仲良くできるのなら、北は核を放棄する可能性を秘めていた。日本に軍事力はなくとも、老獪な戦術を練ることはできたはずだろう。

6月8日、トランプ大統領と会談した安倍総理は、米朝首脳会談後に日朝首脳会談を目指し、何としても拉致問題を解決したいと表明したが、北朝鮮を巡る周辺国特に六者協議に関係する米中日露朝韓の中では、最後に回ってしまった。今となってはただひとえに、トランプ大統領が日本のために拉致問題を解決しなければ〜しないぞ!と金正恩委員長に迫ってくれるのを待つしかない。

それでもなお、このコラムに書いた拉致講義が、日朝交渉に当たり、参考になることを祈る。日本は絶対に拉致問題は解決済み!というゼロ回答をもらってこないようにしなければならない。

この拉致講義とその経緯を知ることにより、日本はどんなことがあっても満額回答を手にしなければならないことが理解できるはずだ。

拉致被害者は生きているのである!

しかし、人の命も時間も不可逆だ。

拉致されてから既に40年近くも経っている。人命救助の際に優先すべきは時間だったのではないだろうか。

遠藤誉東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士

1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会学研究所客員研究員教授などを歴任。著書に習近平vsトランプ世界を制するのは誰か、毛沢東日本軍と共謀した男(中文版も、?子(チャーズ)中国建国の残火中英文版も、チャイナセブン紅い皇帝習近平、ネット大国中国言論をめぐる攻防、チャイナジャッジ毛沢東になれなかった男、中国人が選んだワースト中国人番付やはり紅い中国は腐敗で滅ぶ、中国動漫新人類日本のアニメと漫画が中国を動かすなど多数。